Quote、イラストメイン。
本拠地→http://rollstone.10.dtiblog.com/
先日、いつものようにPCの前に座ってUK国内ニュースをチェックしていると、「卑語には痛みを和らげる効果がある」という科学関連ニュースの見出しが上がって来た。
ニュースの内容を読んでみれば、FUCKおよびFUCKINGなどの卑語には、それらの言葉を口にすると身体的痛みを緩和することができる。という効果があることが、研究の結果明らかになったという。
確かに、出産のために関連病棟に入院した折にも、階上の分娩室から「FUCKING SHIT」だの「FUCKING BOLLOCKS」だの、勇ましい言葉を吐きながら赤子をひり出す妊婦の声が聞こえたものだが、あれも、女という生き物は卑語の陣痛緩和効果を本能的に知っているからなのだ。と納得しつつ、同時に、
なんというロマンのある記事であろうか。
と思った。
FUCKといえば、わが青春のセックスピストルズだが、身体的痛みを精神的痛みにも拡大するならば、あのジョニー・ロットンのFUCKまみれの怒号は、傷ついた若者が内面の痛みを癒すために発していた言葉だった。と解釈することも出来、大変に浪漫的でよろしい。
そしてまた、FUCKといえば、底辺託児所のデイジーである。
乳児の頃からFUCKとFUCKINGだけは口にしていて(と言っても正確には、UCK・アック。F音がまだ発音できなくて。2歳になった現在はパーフェクトに発音しているが)、どんどん他の単語を覚えて行く傍らで、BOLLOCKS、BASTARD、CUNTなどの卑語の操作も上級化し、彼女が口にする文章の50%を卑語が占めている。
「あんたが(F)そうしろと(F)言ったから、(F)手を洗いに(F)来たんだろ。だのにこの(F)列は(F)いったい何なんだ、(F)Bastard!」
などというデイジーの言葉を聞いていると70年代パンクのかほりを感じ、ははは、ちびっこパンク。みたいな微笑すら浮かべたくなるが、実はこの卑語連発のコミュニケーション法というのは、21世紀における英国のアンダークラスの人々を象徴する事象でもある。
そんなデイジーに、最近仲のよい遊び友達が出来た。彼女の名は、アナリサという。
黄色いセックスピストルズのTシャツを着たスキンヘッドの中年男性が底辺託児所に“アナリサ”という名の女児を連れて現れた時には、「ああ。」と思った。
父親のむきむきとした腕一面にはカラフルなタトゥー。よく見てみれば、左腕には「Tax Pistol」の文字の刺青がある。
なぜ「性のピストル」ではなく、「税金のピストル」なのだ?それも、単数形で?
というわたしの疑問は、アナリサの母親が現れた時に明らかになった。
ローリー・アンダーソン(ヴィジュアル的には色彩がモノトーン&NYおアート系になった忌野清志郎。の女性版。と言えば若年層にはわかるのか?)みたいな風貌のアナリサの母親は、実は国税局のお偉いさんなのだそうで、毎日ブライトンからロンドンに通勤しているエグゼクティブらしい。
きっと若い頃にパンク好きで知り合い、パートナーとして暮らして来たら、中年になってひょっこり子供が出来ました(または人工授精で子供をつくりました)、なカップルなのだ。そんな国税局のお偉いさんの娘がなぜ底辺託児所のような場所に預けられているのかと言えば、それはピストルズのTシャツを着た父親が地元ではちょいと名の知れたガーデン・デザイナーで、底辺生活者サポート施設のガーデニング・プロジェクトを指揮しているからだ。
同じ月に生まれたデイジーとアナリサは、一緒に庭を駆け回ったりして遊んでいるが、PILの楽曲の題名を名に持つアナリサが大変に行儀のよい、美しい発音の英語を話す女児であるのに対し、何処にでもあるありふれた花の名前を命名されたデイジーは、言葉も汚なければ、行儀なんてクソ食らえ的な生粋の底辺幼児だ。
2人の誕生日は7月だったので、「託児所で、共同のバースデイ・パーティーを開こう」とアナリサの父親が提案した。
そしてパティシエだか何だか知らんが、高級住宅街にある専門の職人の店でケーキをつくらせ、誕生日当日に託児所へ持ってきたのである。
デイジーの母親は何らの貢献もしない。というか、そんな高級店で特注したケーキを持って来られたら、そこら辺のスーパーで売っている、子供番組のキャラクターがついたケーキとかチョコレートなんかは持ってこれないだろう。
いそいそとケーキにろうそくを立てたりして場を仕切っているアナリサの父親とは対照的に、デイジーの母親はドアのそばにひっそりと立っている。
アナリサの父親が持ってきたピンク色のケーキには、“誕生日おめでとう。デイジー&アナリサ”とチョコレートソースで記されていた。どこまでも思いやり深く、他人の子供の名が自分の子供の名の先に来るわけである。
ハッピー・バースデイの歌を託児所の子供たちが歌い、誕生日を迎えた本人たちがろうそくを吹き消す段になった。
どうしていいのかわからず躊躇しているデイジーに、アナリサの父親が言う。
「デイジーが吹き消しな。ほら」
デイジーはドアのそばに立っている自分の母親のほうを、“どうすればいいの?”みたいな目つきで見た。“こうやって吹き消すのよ”と口をすぼめている託児所スタッフの陰に隠れるようにして立っていた母親は、とっさにデイジーの視線から目をそらした。
情けなくて、彼女もどうすればいいのかわからないのだろう。
陰気な顔つきで下を向いているデイジーの母親の頭の上に、ピンクや黄色の風船がゆらゆら揺れている。
デイジーは周囲から言われるままに椅子から立ち上がった。
そして2本のろうそくの立ったケーキを見ながら、口を開ける。
が、デイジーはろうそくを吹き消すのではなく、リボンや薔薇の飾りのついたケーキを見下ろしながら言ったのである。
「FUCK OFF!」
2歳児が発する卑語も、ジョニー・ロットンの卑語とそれほど変わらないのかもしれない。
痛快は、時として痛みにまみれていることがある。
先日、いつものようにPCの前に座ってUK国内ニュースをチェックしていると、「卑語には痛みを和らげる効果がある」という科学関連ニュースの見出しが上がって来た。
ニュースの内容を読んでみれば、FUCKおよびFUCKINGなどの卑語には、それらの言葉を口にすると身体的痛みを緩和することができる。という効果があることが、研究の結果明らかになったという。
確かに、出産のために関連病棟に入院した折にも、階上の分娩室から「FUCKING SHIT」だの「FUCKING BOLLOCKS」だの、勇ましい言葉を吐きながら赤子をひり出す妊婦の声が聞こえたものだが、あれも、女という生き物は卑語の陣痛緩和効果を本能的に知っているからなのだ。と納得しつつ、同時に、
なんというロマンのある記事であろうか。
と思った。
FUCKといえば、わが青春のセックスピストルズだが、身体的痛みを精神的痛みにも拡大するならば、あのジョニー・ロットンのFUCKまみれの怒号は、傷ついた若者が内面の痛みを癒すために発していた言葉だった。と解釈することも出来、大変に浪漫的でよろしい。
そしてまた、FUCKといえば、底辺託児所のデイジーである。
乳児の頃からFUCKとFUCKINGだけは口にしていて(と言っても正確には、UCK・アック。F音がまだ発音できなくて。2歳になった現在はパーフェクトに発音しているが)、どんどん他の単語を覚えて行く傍らで、BOLLOCKS、BASTARD、CUNTなどの卑語の操作も上級化し、彼女が口にする文章の50%を卑語が占めている。
「あんたが(F)そうしろと(F)言ったから、(F)手を洗いに(F)来たんだろ。だのにこの(F)列は(F)いったい何なんだ、(F)Bastard!」
などというデイジーの言葉を聞いていると70年代パンクのかほりを感じ、ははは、ちびっこパンク。みたいな微笑すら浮かべたくなるが、実はこの卑語連発のコミュニケーション法というのは、21世紀における英国のアンダークラスの人々を象徴する事象でもある。
そんなデイジーに、最近仲のよい遊び友達が出来た。彼女の名は、アナリサという。
黄色いセックスピストルズのTシャツを着たスキンヘッドの中年男性が底辺託児所に“アナリサ”という名の女児を連れて現れた時には、「ああ。」と思った。
父親のむきむきとした腕一面にはカラフルなタトゥー。よく見てみれば、左腕には「Tax Pistol」の文字の刺青がある。
なぜ「性のピストル」ではなく、「税金のピストル」なのだ?それも、単数形で?
というわたしの疑問は、アナリサの母親が現れた時に明らかになった。
ローリー・アンダーソン(ヴィジュアル的には色彩がモノトーン&NYおアート系になった忌野清志郎。の女性版。と言えば若年層にはわかるのか?)みたいな風貌のアナリサの母親は、実は国税局のお偉いさんなのだそうで、毎日ブライトンからロンドンに通勤しているエグゼクティブらしい。
きっと若い頃にパンク好きで知り合い、パートナーとして暮らして来たら、中年になってひょっこり子供が出来ました(または人工授精で子供をつくりました)、なカップルなのだ。そんな国税局のお偉いさんの娘がなぜ底辺託児所のような場所に預けられているのかと言えば、それはピストルズのTシャツを着た父親が地元ではちょいと名の知れたガーデン・デザイナーで、底辺生活者サポート施設のガーデニング・プロジェクトを指揮しているからだ。
同じ月に生まれたデイジーとアナリサは、一緒に庭を駆け回ったりして遊んでいるが、PILの楽曲の題名を名に持つアナリサが大変に行儀のよい、美しい発音の英語を話す女児であるのに対し、何処にでもあるありふれた花の名前を命名されたデイジーは、言葉も汚なければ、行儀なんてクソ食らえ的な生粋の底辺幼児だ。
2人の誕生日は7月だったので、「託児所で、共同のバースデイ・パーティーを開こう」とアナリサの父親が提案した。
そしてパティシエだか何だか知らんが、高級住宅街にある専門の職人の店でケーキをつくらせ、誕生日当日に託児所へ持ってきたのである。
デイジーの母親は何らの貢献もしない。というか、そんな高級店で特注したケーキを持って来られたら、そこら辺のスーパーで売っている、子供番組のキャラクターがついたケーキとかチョコレートなんかは持ってこれないだろう。
いそいそとケーキにろうそくを立てたりして場を仕切っているアナリサの父親とは対照的に、デイジーの母親はドアのそばにひっそりと立っている。
アナリサの父親が持ってきたピンク色のケーキには、“誕生日おめでとう。デイジー&アナリサ”とチョコレートソースで記されていた。どこまでも思いやり深く、他人の子供の名が自分の子供の名の先に来るわけである。
ハッピー・バースデイの歌を託児所の子供たちが歌い、誕生日を迎えた本人たちがろうそくを吹き消す段になった。
どうしていいのかわからず躊躇しているデイジーに、アナリサの父親が言う。
「デイジーが吹き消しな。ほら」
デイジーはドアのそばに立っている自分の母親のほうを、“どうすればいいの?”みたいな目つきで見た。“こうやって吹き消すのよ”と口をすぼめている託児所スタッフの陰に隠れるようにして立っていた母親は、とっさにデイジーの視線から目をそらした。
情けなくて、彼女もどうすればいいのかわからないのだろう。
陰気な顔つきで下を向いているデイジーの母親の頭の上に、ピンクや黄色の風船がゆらゆら揺れている。
デイジーは周囲から言われるままに椅子から立ち上がった。
そして2本のろうそくの立ったケーキを見ながら、口を開ける。
が、デイジーはろうそくを吹き消すのではなく、リボンや薔薇の飾りのついたケーキを見下ろしながら言ったのである。
「FUCK OFF!」
2歳児が発する卑語も、ジョニー・ロットンの卑語とそれほど変わらないのかもしれない。
痛快は、時として痛みにまみれていることがある。